プログラムたち

最果タヒのブログを読んだ。

tahi.hatenablog.com

仕事をしていて、ぼく自身がこれっていいな、と思っていることは、たいていプロジェクトの都合でいろいろ形や過程が変えられてしまうもので、それは仕方がないよそういうものだよ、と思っていた。そういうプロジェクトのことを考える管理職の人に合わせてやっていくのが、大切で優先されると思っていた。

だけれども結果はどうなのか?何も残らず、機会を食べ尽くして、なんかもうそこに崖が見えている。全員失職する。たぶん死にはしないが致命的にめんどくさいことになるし、ものすごく立ち直るのがとても難しいぐらい疲れてしまう。

よく、エンジニアは放っておくと勝手なことをするっていうけれど、それってエンジニアだけじゃなくて、実は管理職も結構勝手なことしているよねって思う。もしくは勝手にやらないことにしている。

結局プロジェクトの空気を読んであきらめたものは、あとになって必要になったりすることが多くて、後悔したり、腰を上げて作ったりする。

他のメンバは違うことを考えているのだろうけれど、ここで重要なのはぼくがどう考えているかだ。おまえらが勝手なことをするならこっちも勝手なことをするわっていう側面もある。けれどそういう逆ギレ的なテンタティブなものではなく、もうちょっと前向きで、つまり、空気を読むのをやめて自分が信じていることをやろうと決めたんだと思う、最近は。

そういうことをいくつか繰り返してきて、最近は深夜まで働くことが多かったんだけれど、今日は眠くて仕方なくて、有給を取って休んでいた。そのときにさっきのブログを読んだ。

そうか彼女(女性?)が学生の頃、クラスの中で気づまりで苦しんでいたときに、書くことで立ち上ってきた自分のようなもの、それがここ最近、自分が書いてきたプログラムたちによって自分にもたらされたものと同じなのかもしれないと、感じた。

崖に向かって進んでいる会社の中でエンジニアすること。それでも淡々とチケットをこなして、コミットして、外国人とミーティングすることがその後の人生を保証する。「落ちるのは会社であって、俺ではない」みたいな働き方にどうにも首肯しかねるところがあった。なぜなら自分は以前会社の解散(倒産ではない)を経験、というか巻き込まれたことがあって、振り返ると、どんなに俺は俺と決め込んでいても会社と自分を分けて捉え切れていなかったと思う。

その後も別の職場で働けてはいたが、何か見えない大きなことをやらかしたのではないか、そしてこの見えない何かをとらえないと、またやられてしまうのではないのか。そういうトラウマの意識が心の底にべたーっとはりついている。

それ以来 10 年ぐらい経つけれど、やっとその答えが出たなあと思う。自分が作りたいものを作る。こういう無邪気な思いをあけすけに言えるだけの技術はこの 10 年でとりあえずはついたんだなとおもう。

だけれども仕事でしかプログラミングしないと、作りたいものを作るための筋力が無茶苦茶ないことに何度も気がつかされる。評価も必要なのでなかなかしんどいことではあるけれど、崖に向かうバスに乗って、落ちそうだ、そしていつかは落ちるけれど、まだ落ちてないから、明日も落ちない、明後日も来週も3 ヶ月後も、今はそれでいい、みたいに思い続けることに比べれば、どれだけ呼吸できることかよ、って思う。

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しかしこのハートネットTV 2020 コロナ のメッセージに書かれているのは、なんかこう... これって俺か?みたいな感じがして、個々のディテールはわからないけれど、共感した。わかる。