同僚の死
正直気に入らないヤツではありました。しかし自分を支える根っこの部分で踏ん張って対応しないといけないようなタフな人だったので、印象が強い。考えがまとまらないまま以下バラバラと思いを列挙します。
- 葬式は家族葬で、コロナの時期なのでお通夜もなく、そして同僚とそれを語る場もない。映画は語らないと見たことにならないとは押井守の言葉だが、どうにも語らないと彼が亡くなったことが腑に落ちない気がした。会社の Slack はその話題はなかった。SNS でもメールでもいいんだろうけれど、昨日の 1on1 でボスと話したとき、内容はしょうもないことだったが、彼の死について話した。助かった。
- 僕の両親は健在だが、いずれ亡くなる。そのとき葬式とかめんどくさいと思っていたんだが、そういう語る場を設けること、関わった人がその人の死をふに落とすお手伝いをすること、それは大切なことなんじゃないかと思った。例えば両親の友人とか僕は一切知らないけれど、葬式にきてくれたたら「どんな人でしたか?」とか聞くことだけでも全然ありだと思った。
- facebook では彼の友達たちが写真を貼り付けて思い出や悲しみや寂しさを語っている。これはこれで悪くないなと思った。コロナの時代というか、SNS 時代の葬式、というか死者の送り方なんじゃないかと感じた。ただ、デジタルのテキストはやはり軽く思える。
- あとシリア難民のドキュメンタリーを見ていたんだけど、こういう生きづらさを抉るようなものを見ると、多かれ少なかれ、人生は本当にいろいろあるよなと思う。
- それからファミリーヒストリーも見てたんだけど、先祖から繋がる血縁関係と物語の強さを感じた。死んでも残るものがあるのだと。というか生きているものが残すのだ。