天国

よしもとばななの何かの本で、天国というところには手順がない、というようなことが書いてあったはずだ。詳細も文脈も忘れたし、ぐぐってもでてこないから間違っているかもしれない。

要は、皿を片付けるときは、まず水で汚れを落とし、油汚れがひどい時はキッチンペーパーでぬぐう、洗剤であらい、水で流して、別の場所に移し、水を切って、タオルで拭い、棚にしまう。天国というのはこういう面倒くさいことが一切ない場所である、だったとおもう。食事が終わった皿は次の瞬間きれいな棚にしまわれる。そういうところだと。ゼルダの BotW の料理のように材料混ぜて踊らせるとピラリラリーンと出来上がるようなものとも言える。食洗機とか乾燥機とかホットクックとかでの局所最適化の話ではない。もう手順というものそのものがない場所だということだ。

まあ天国があるかないかは知らないが、たしかに一つ一つ手順をこなすめんどくささの中には楽しみも隠れていて、実はそれが生きることの一つの側面だとしたら、死んだ後にいく天国ってのが、そのめんどくささがない場所だってことは、スジは通っているなとは思う。

ぼくは、手順というか、手順を構成する一つ一つのパーツのデザインというのがとても重要だと思っていて、今まで皿を洗ったあと、「水を切ってふいてしまう」これを一つもしくは幾つかの食器毎にやっていた。「水を切ってふく」と「しまう」は違うタスク、つまり使う頭が違うタスクなので、つづけざまに行うと実はすごい疲れる。プログラミング的にいうと、コンテキストスイッチが大量に発生してしまうことになる。

本来は避けるべき事態なのだが、「水を切ってふく」のあとに食器を置く場所があまりなくて、すぐ「しまう」をしてしまっていたのだ。だってすぐそばにしまう場所あるしね、ただそれがいくつかあるので迷うのだ。

それを置く場所を少し離れているが広いテーブル1カ所にした。スプーンなどは実はそれよりも近い場所にしまえるのだが、離れているところに置くことにした。

食器や料理道具をテーブルに広げる。

ちょうどフルアーマーガンダムや Ex.S ガンダム が纏う装甲を全てはずして、細身のガンダムを中心にそれらの装甲を綺麗に床面に並べたプラモデルの写真がよくあるけれど、あんな感じである。

めんどくさいが、その美しさにはその価値があるなと思う。皿洗いで感じる違和感と辛さが一つ解消したことになった。

美しいものは写真に撮りたくなるのが最近の流行りだが、これについてはそういう感情が湧かない。なぜなら毎日自分で生み出すことができ、新しいそれを見ることができるからだ。共有する必要もないし、時間を固定する必要もない。