2027 年の俺へ

長男が大学に進学することが決まった。次男は 4月から高校2年生なので、子供らが社会に出るまでには、あと6年ぐらいかかる。長男は大学院に行きたいようだが、奨学金でももらって勝手にやってくれと思っている。

あと6年である。俺は結婚して子供ができるまでゴミのような人生を送っていたので、彼らが社会へ出てしまうと、気が抜けて病気になってしまうんじゃないか。生きる力を失い、死んでしまうかもしれない。そもそも仕事を続けていられたのも子供や妻のためにという思いで、自分を煽っていたわけで、働くモチベーションも無くなってしまう。妻が欲しいといってた家も買ったし、ストックオプションでそれなりに貯金を増やすこともできたので、俺にしてはもう十分じゃんかと思っている。

仕事自体も面白いわけではない。俺はプログラマなんだが、実はプログラムを書くのは嫌いではないがいうほど好きでもない。比較的得意だからやっているだけだ。ましてやその対象が車や広告といった俺にとってどうでもいい、むしろ世界をよりダメにしていくものである(つくづく adTech とか「これは仕事だ」と強く念じないと正気を保っていられない)。それでも世界に干渉できるならまだマシで、それにすら至らないゴミのようなプロダクトやサービスなのである。だからお給料をいただくためにやっているだけにすぎない。俺の目から見て、こんなものが世間に使ってもらえて、お金を運んできてくるわけないだろというプロダクトやプロジェクトにお金を出す人がいるわけで、ソフトな詐欺だよなと思う。確信犯的にお客さんが支払う金額も少なかったりするわけで、こんなことあと 20 - 30 年も関わっていられるかよ、というのが本音である。

だからとりあえず、とりあえずあと6年、こんなゴミ屑人間のようなおれが世の中にできる多少はマシなこと、すこしでも若い人を育て、社会に送り出す、それだけはやりとげようと思っている。2人子供を世に送り出せば、再生産数は 1.0 である。氷河期世代にしては上出来だろ?と思う。

あと6年ぐらいなら、なんとかプログラムを書いてお金をもらって、子供を育てきることができるんじゃないかと思っている。そんなことを胃の内視鏡検査の待合室で考えた。検査は全身麻酔で行うんだけど、その意識を失う感じが死を連想させて、先の人生に目が向いたからだと思う。

6年後はどうなっているだろうか。相変わらずマスクをつけて暮らしているのだろうか。飲み会は淘汰されてしまったのだろうか。経済は苦しくなっているだろうなと思う。何か持病があるかもしれない。巨大 IT 企業はこれからもがんがん全てを飲み込んでいくであろう。仕事もだいぶ減っていると思う。今の会社からはクビにされていると思う。会社もなくなっているかもしれん。

数年前に面接で聞かれた10年後の自分はどうなっていると思いますか? という答えにくい質問があったことを思い出す。いまならはっきり答えられる。派遣社員としてパイプ椅子に座って Windows でプログラムを書いている気がする。それとも細い人脈の糸を辿ってフリーランスで細々とやっているのかもしれん。

そうかんがえると、プロダクトに奉仕して、世界の問題を解決するための正社員より、そのエモい部分はバッサリ切り落として、それをどう作るかということに焦点を合わせた仕事のほうが、実は性に合っているのかもしれないな。今の会社には申し訳ないが、やはりビジネスには興味がない。それじゃいかんとおもっている... いるんだが、もうつらいんだ、ビジネスモデルとかステークホルダーとか、もういやだ。「なんでエンジニアが作るものをかんがえなきゃいけないんですか?」と言ったエンジニアが昔居たけど、気持ちはわかる。今はよくわかる。

...と 2021 年には思っているんだが、2027 年に読み返したら、どう思うんだろうか。