Siri 読み上げ生活

Siri の Kindle 読み上げさせながら何か作業するのが効率がいいとはよく言われていることのようだ。僕もやってみた。

作業と読書がマルチタスクでできるのはいい感じだと思った。ただそれだけではなく、何事も飽きずに作業が継続することに気がついた。炊事洗濯掃除のようなあまり思考を必要としない作業だけではなく、仕事でプログラムを作ること、読書と相性の悪いような作業もそうみたいだ。

作業中に気が散って集中が途切れることはよくある。だけれども読み上げを聞きながら作業していると、気が散った時に、読み上げ音声にその散った気がからめ取られ、なんとなく読み上げを聞いていると、また気が散って手元の作業に気が戻る。結果として継続して作業できている。いつもなら twitter とかに意識が飛んでいくのに。まるで OS のコンテキストスイッチだ。

音楽を聴きながら作業するのと何が違うのかというと、音楽は散った気をからめとってくれないようだ。音楽を聞くという行為は感覚的なものだからなのかもしれない。音楽を聞くことと論理的な思考は同時にできるのだが、だからこそ論理的思考の無軌道なコンテキストスイッチ、つまり気が散って twitter をするという行為を抑えることができない。気がつくと音楽を聴きながら twitter していることになる。twitter からもとの作業にスイッチするのはなかなか難しい。作業はちっとも進まない。

他にも、読んだほうがいいのだけれど読むのが面倒くさい文章(仕様書とか)を、Siri に読み上げさせると引っ張られるように目が文字を追っていき、いつのまにか一緒になって読んでいってしまう、という効果もあるようだ。普段 twitter みたいな短い文章しか読んでないから長い文章が読めなくなっているのかもしれない。電動アシスト自転車のように Siri にアシストしてもらっている感じな気がする。老いだろうか。

プログラムのコードも Siri に読み上げさせるのもなかなかいい。ピンポイントな確たる目的のないコードリーティングというのは、黙読すると細かい点を見過ごしたり大雑把になりがちである。コードの写経はそれをカバーするような感じではあるが如何せんタイピングが大変である。だが Siri 読み上げだと黙読と写経の間ぐらいの感じになる。読むよりは遅いがタイプするよりは速く、タイプするよりは粗いが読むよりは細かく読める。

この文章も書いたものを Siri に読み上げさせ、語感とか流れを気にして調整してみました。