AR つづき
この間こんなのを書いた。
実は書いた後に違和感を持っていたんだけれど、これを見てなんとなくわかった。
「さいたま国際芸術祭2020」(現在開催延期中)での最果タヒさんの出品作。この作品用に道路標示を模した作字をしました。施工から時間が経ち、詩が路地にずいぶん馴染んでいるようで嬉しい
— sasakishun (@nuhsikasas) 2020年8月31日
撮影:鴨川一也 pic.twitter.com/6gcFVFslJ2
昨今の AR はソフトを立ち上げて何かするという能動的なものなんだけれど、最果タヒの文章は、こうやって道路標識や広告のように否応なく暴力的に飛び込んでくる受動的なメディアとでないと良さが減ると思った。
その良さっていうのは、日常の中にある異物が挟まることによって醸し出される懐かしさ、なのかなと思った。映画の攻殻機動隊の中華風都市だったり、パトレイバー2の日常風景の中にある戦車だったり、パトレイバー1の誰もいない夏の街をさまよう二人の刑事だったり。