遊び
パソコンに向かって作業をしている。
仕事と関係していると自分では思っているが、その関係性を人に説明するのがちょっと力が必要で、下手をすると理解を得られないかもしれず、また逆に理解されることで失われてしまう可能性がある、そんな作業である。
家族からはまた仕事していると言われる。
家ラーメン
豚肉を網に入れてからジプロックに入れる。砂糖と醤油と酒、生姜とニンニクのすりおろしもジプロックに入れる。冷蔵庫で一晩寝かす。
翌日、ヘルシオの料理板にアルミホイルを隙間なく被せる。豚肉から垂れる汁が焦げて洗うのが大変だからだ。料理網に寝かせた豚肉をのせる。ヘルシオでチャーシューを選択する。1 時間ぐらいすると焼き上がる。
ホットクックでほうれん草を茹でる。10 分ぐらいでできる。ざっと洗って包丁で切る。スーパーで買ってきた生麺を茹でる。同じくスーパーで買ってきたラーメンの汁をお湯で溶かす。チャーシューを切る。端っこの脂身の部分が柔らかくて、プルプルしている。
器に麺を入れ、汁を入れる。チャーシューをのせ、冷蔵庫に残っていためんつゆに漬け込んだかぼちゃとシシトウをのせる。
チャーシューを汁に沈めて麺をかぶせたりする。汁にひたひたになる。ほうれん草も汁にからむ。シシトウの辛みと苦味、かぼちゃの甘みがアクセントになっている。麺も固めに茹でたのがいい。ごちそうさまでした。
感想
いろいろあって、すっかり毒気が抜けてしまい、仕事は半分ぐらいの力感だったと思う。いつものように家事がこなせなかった。
T シャツたちがアイロンがけを待っている。無駄なことをしろと僕にささやいている。
日常に帰る
またしばらくブログを書かなかった。ブログを書かなくなるのは、非日常的な事態が起こっている時だ。できるだけ平穏に暮らしたいなと思いつつ、その平穏を通すために、心を振り絞る必要が生じてしまう。
昨日は仕事を休んだ。スーパーに買い物にでかけたり、漫画を買いに本屋に行ったりした。天気が良くて、すこし暑かったけれども気持ちがよかった。
コピペプログラミング
昔は vim でプログラムを書いていた。覚える関数や使い方が爆発的に増えるにつれてだんだん面倒くさくなってきた。
そんなとき IDE の補完機能の優秀さに改めて気がついた。これでなんとなく関数とか引数を覚えているだけで済むな、と思って、IDE 大好きっ子になった。vim でもできるけれど、プラグイン種類がありすぎてめんどくさすぎる。JetBrains が大好きだ。
でもなんだかまためんどくさくなってだんだん書かなくなってきたけれど、そんなとき世の中にあるスニペット機能に気がついた。TypeScript の関数書きたい、とか Swift のクラス書きたいとか、思うんだけれど、そんなことははっきり言って覚えていない。だるい。だるすぎる。だがそういうのをショートカットで Dash を起動してパッと選べて貼れる、貼ったところでエラーになることが多いが、ああ、こんなんだったと思い出して、ちょこっと直すとかできる。デバッグは得意なので。ちなみに Dash がいいツールなのかはまだよくわからない。
スニペットが増えていくに従って、プログラミングが苦しくなくなっていく。こんなのは初めてだ。もっと増やしたいとすら思う。いい意味でのコピペプログラミングである。カリカリと書かなくていいのだ。
僕はもはやぼんやりと感覚的にしか生きていないので、ものを詳細に覚えることができない。だからこういうぼんやりとした意志みたいなものから具体的で詳細な論理を導けるツールが本当に助かっている。GPT-3 が話題だけれど、どんどん俺を楽にしてくれと思う。スニペット作るのすらめんどくさくなるのは時間の問題だ。
低レイヤからアプリまで、一人の人間がふわーっと掌握してふわーっと書ける時代が来ればいいなと思う。きっとくるだろう。プログラミングがなくなるとかノーコードとか言われるが、このふわーっとする主体は、不安とか興奮とか妬みとかなので、機械には無理っていうか、機械に是非助けてもらいたい部分ではある。
で、ある日ふと、これは言語というものに対しての取り組み方が年齢と共に変容したのではないかと感じて、もう英語とかの外国語もこのぐらいの感覚でのぞんだほうがいいなと感じた。それから DeepL での翻訳に抵抗を感じなくなり、むしろ英語サイトを見る機会が増えた気がする。DeepL のショートカットは最高すぎる。それから英語音声は Google の音声文字変換にかけて、それを見ながら聞いている。たしかに精度の問題はあるが、音声だけを必死においかけるより、かなり楽だ。僕は日本語の映画でも字幕がついている方が好きなんだが、両方で内容を補完しているので、楽なんですよね。