テッド・チャン『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』感想

 

S-Fマガジン 2011年 01月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2011年 01月号 [雑誌]

 

いわゆる AI が搭載されたバーチャルエージェントと我ら人類が共生していくことについての物語です。ディジエントというそのバーチャルエージェントは育成ゲームよろしく人との関わりで AI が成長していきます。

僕がとても印象に残ったのはこんなところ。

アナがその考え方に慣れるにはちょっと時間がかかった。アナは、ディジエントたちが途方もなく天分に恵まれたサルだという考え方に慣れている。

(中略)

もっと現実的な意味で、ディジエントを特別支援児童と見なすには、視点の転換が必要だった。

 「ディジエントはどのくらいの責任を引き受けられると思う?」

デレクは両手を広げた。「さあね。ある意味、ダウン症に似ている。ダウン症の影響がどんなふうに現れるかは人によってさまざまだから、妹が新しい子供を担当するときは、相手に合わせて臨機応変に対処するしかないんだって。ぼくらの場合は、もっと手がかりが乏しい。こんなに長くディジエントを育てている人間はほかに誰もいないからね。宿題を与えることで得られるのが、彼らにいやな思いをさせることだけだと判明したら、もちろんそこでストップすればいい。でも、こっちが勝手に不安がって、マルコとポーロの背中を押してやらなかったせいで、二人の潜在能力が無駄になるとしたら、それは望ましくない」

主人公のアナはディジエントがやりたいとことや得意なことを伸ばしてあげたいと思っているけれど、同僚のデレクは勉強をさせて潜在能力を見つけてあげるべきだと言っています。AI をサルやダウン症になぞらえるのはちょっと強い表現かと思ったけれど、他に説明しようがないからであって、彼らは人の親のように真剣に自分の家族であるディジエントについて議論しています。

正直なところ、僕の AI というものに対する社会的文化的な印象は、ディストピア的に変におっかない形で擬人化してしまっていたのですが、デレクのようなスタンスには、はっとさせられました。

対象が何であれ、学習をさせる・させられるという行為には、愛情が副産物としてうまれていたのかもしれないなあ... 親はもちろん、学校の先生、部活の先輩後輩、プログラムしかり。