ウッドリストレスト最高
FILCO のウッドリストレスト分離型を買ったので、久しぶりに HHKB 尊師スタイルにしてみています。 最近の MacBookPro はパッドが大きすぎなので、親指の腹がパッドにあたって、打鍵中にカーソルが動いてしまってキー!っとなります。ソフト的に範囲を指定したパームリジェクションはできないっぽい。で、このリストレストだと、パッドの両端を覆うのでその心配がなく、ついでに手が持ち上がるので奥のキーに手が届きやすくなるのでかなり満足しています。なにせ僕は届きにくいという理由でむかついて Fn キーの段を無効にしているので、これから何に割り当てようかワクワクしてます。やはりよいものは複数の問題を解決するな。妻には公園で板を拾ってくるべきといわれましたが、こんな絶妙な大きさと加工が僕にできるわけがないでしょう。
ただ尊師スタイルは廃熱の問題か、重めのビルドを行ったりすると目に見えてマシンが遅くなるという問題があるので、仕事の時はクラムシェルでこっちのスタイルが主です。ARM Mac になるとファンレスになるとかいうけれど、重いことをしても遅くならなきゃいいけどな。当分買わないと思うけれど。
本当は分割キーボードを買ってパッドを真ん中に入れようかなと思っていたんですが、めんどくさいなと思っていたら、HHKB 二枚で分割っぽいことやっているブログを見かけたので...
最近ちょくちょく脱 Mac について考えますが、パッドが優秀すぎるので、難しいんですよね僕には...
コードを書く
ちょっとコード書くかなと思った時、実は
- ビルド環境を整える
- コードを書く
- ビルドする
- 動作させる
- デバッグする
これら 5 つのタスクが一緒くたになっていることに気がついた。1 番は慣れた環境ならいらないかもしれないし、3 番はスクリプトならいらない。うまくいけば 5 番は必要ない。
だけど大抵 1,2,3,4,5 がフルセットになっていて、これは業務かな?みたいな状態になってつらくなる。そしてめんどくさくなる。
実は自分は 2 だけがやりたい時が多いということに気がついた。ちょっとおもいついたこととか、見かけたコードを深く理解したいので部分的に写してみるとか、そういうことである。
ここでいう「写す」っていうのは、いわゆるプログラミングの写経とも違う気がする。あれは 1,2,3,4,5 フルセット揃っている作業なんじゃないかと思うんだよな。僕の 2 番オンリーのやつは、1,3,4,5 が脳内で成功する。ビルドも一発で通るし、デバッグも不要だ。
ツールとかアプリを作りたいとか、原因を探りたいとかいう時はフルセットいるんだけど、こういうコードだけ書くっていうのもありなんじゃなかろうかと思う。
あるがままのアートをみてきた II
こちらの続き。 markiii.hatenablog.com
どの作品も面白いなと思っていたんだけれど、なかでも考えさせられたのはこちら。 この絵を書いたのは今村花子さんという人です。この絵の横に展示されていた、食べ物を畳の上に置いてある写真を見てなんじゃこりゃと思った。 説明のナレーションを聴いたんだが、どうも床に食べ物をおくのが好きらしいということだそうだ。変なひともいるものだ、この絵もよくわからんと思っていたんですが、続きのナレーションで、この絵を説明していて、
身体感覚と密につながる
とか
ひっかく行為によって発せられる音や触感をたしかめるようにして絵が生まれているそうです。
という説明で、何かわかった気がした。そうか。身体感覚か。前のブログで、
人間は誰しもが、三大欲求以外に何かすると心地よいと思うそれぞれのスイートスポットのようなものがあり、そこを探し突き続けることこそが、生きることなんじゃないのか、とまで思ってしまった。
と書いたけれど、このスイートスポットへの鍵が身体感覚なのだと腑に落ちた。そう思ったら展示されている他の作品の印象もバタバタと変わり始めた。
この作品は、大好きな写真を箱に入れていて、それを振ったりするのが好きなんだという。あと写真自体にも触れることが好きなんだという。それによって写真の周囲が丸くなり、剥げたりしている。これも最初はなんじゃこりゃ?と思った。デジタルの加工で表現できるとか思っていたんだが、そうではないのだ。体を動かすことによって、スポットに触れる。もはやそれだけで十分だし、出来上がったものがいい感じならばなおよし。これこそがオリジナルたりうる。デジタルなど根元の気持ちを失った劣化コピーに過ぎない、死骸である、とまで思った。
これも最初は意味がわからなかった。布にへばりついたクラゲ的ななにかの死骸に見えたんだが、実は糸である。刺繍である。縫うという行為も独特な感覚があるのはわかるが、作品として、最終的にどこにたどり着くかなんか知らんという感じがすげえなこりゃと思った。こういうのを爆発っていうんじゃないのかしら。しらんけど。
これは E テレで紹介されていた人のだけれど、これもハサミで切るあの感覚が中心になってんのかと思った。これは触ってみたいよな。ふわふわしていそうだ。
僕は芸術にはあまり興味はないし、絵をかいたりしようとは思わないけれど、この人たちのありようが実生活のヒントになると思っていて、日常生活は効率追求に偏りがちなんだけれど、どうも身体感覚をベースとしていろいろ組み直すとよさそうだぞ?というのが今回得た大きなことでした。
あるがままのアートをみてきた I
そもそもなんでこれに興味を持ったのかというバックグラウンドを書きますかね。
普段社会人として十数年働いて生活しているわけですが、このまま消費と生産の合理化を進めていくと全てを失うな、という肌感覚があって、一体どうやって生きて行ったらよかんべ、という漠然とした思いがあったわけです。
自分のやりたいことですら仕事に置き換えられがちな昨今、もはやどうしようもなく無茶苦茶無駄なことをするしかない、そう思ってました。そこで始めたのがアイロンがけです。家族のシャツを毎日アイロンがけする。妻には「そのシャツは明日も着るからアイロンしなくていい」と言われてもやる。なぜか?心地よいからです。アイロンをかけるとピシッとするのがいい。アイロンをかけながらニュースを見るのが好き。アイロンがけした暖かいシャツを畳んで並べるのが好き。
ある日アイロンをかけながら、E テレでやってた「人知れず表現し続ける者たち I II III」を見た。僕にはこの人たちのありようがうらやましく思えた。ハンディキャップがある分、選択肢が少ないので、そこに到達できる可能性が高かったように見える。これは相当歪んだ見方だと思う。そこに至りたかったわけではないというのもあるとは思う。だがそう思ってしまった。人間は誰しもが、三大欲求以外に何かすると心地よいと思うそれぞれのスイートスポットのようなものがあり、そこを探し突き続けることこそが、生きることなんじゃないのか、とまで思ってしまった。そしてそれが必ずしも社会に適合するとも限らないが、なんとか、なんとか合わせてやっていくしかない。
その考えに至ってから、そのコンセプトを他に展開しようと思って、こんなことをやった。
長いし読みづらいので簡単にいうと、食器を洗ってから棚にしまうという間に、食器をテーブルに並べるというアクションを挟んだ。先のブログではいろいろ書いているが、端的にこれが心地よいからやっているのだ。今もやっているし、それがモチベーションにすらなっている。
他にも洗濯物の干し方を変えたとかあるが、とにかくこのコンセプトは素晴らしいものだと思っていたので、展覧会があると聞き、これは生で見なきゃと思って行ったのだ。何かまた新しいことがあるかも知れない。
長くなったので、展覧会で感じたことは次に書きます。
AR つづき
この間こんなのを書いた。
実は書いた後に違和感を持っていたんだけれど、これを見てなんとなくわかった。
「さいたま国際芸術祭2020」(現在開催延期中)での最果タヒさんの出品作。この作品用に道路標示を模した作字をしました。施工から時間が経ち、詩が路地にずいぶん馴染んでいるようで嬉しい
— sasakishun (@nuhsikasas) 2020年8月31日
撮影:鴨川一也 pic.twitter.com/6gcFVFslJ2
昨今の AR はソフトを立ち上げて何かするという能動的なものなんだけれど、最果タヒの文章は、こうやって道路標識や広告のように否応なく暴力的に飛び込んでくる受動的なメディアとでないと良さが減ると思った。
その良さっていうのは、日常の中にある異物が挟まることによって醸し出される懐かしさ、なのかなと思った。映画の攻殻機動隊の中華風都市だったり、パトレイバー2の日常風景の中にある戦車だったり、パトレイバー1の誰もいない夏の街をさまよう二人の刑事だったり。
音楽
ここ数日、ずっとこれを聴いてる。
夏休みなので暇である。それはよいのだが、暇だと余裕があるからか、周囲に気を配りすぎてしまい疲弊してしまう。そこで僕独自の対処法だけれど、ヘッドフォンで音の蓋をする。適度に会話が可能で、適度に遮音というのが好ましい。
普通のリズムとかあるような音楽でもいいのだけれど、それはそれで疲れてしまうので、環境音に近い方がいい。だけれど本当の環境音だといまいち面白くない、というところで探していたときに見つけたのだった。
大きな宗教的な建築物の中で散策しているような時もあるし、砂漠で朽ち果てているがまだ稼働している巨大な無人の工場のそばにいるような感覚、ゼルダの BoW のような陽光の中のハイラルで草刈りに疲れてボーッとしているような、そんな良さがある。1 時間近い楽曲ですが、いろんな面があって飽きない。
もともと YMO のプロローグとエピローグは大好きなので、相性はいいんだと思う。
最近の坂本龍一の Async はなんかピンとこなかったけれど、またいま聞くと違うかな。