あるがままのアートをみてきた II

こちらの続き。 markiii.hatenablog.com

どの作品も面白いなと思っていたんだけれど、なかでも考えさせられたのはこちら。 f:id:markIII:20200903122553j:plain この絵を書いたのは今村花子さんという人です。この絵の横に展示されていた、食べ物を畳の上に置いてある写真を見てなんじゃこりゃと思った。 説明のナレーションを聴いたんだが、どうも床に食べ物をおくのが好きらしいということだそうだ。変なひともいるものだ、この絵もよくわからんと思っていたんですが、続きのナレーションで、この絵を説明していて、

身体感覚と密につながる

とか

ひっかく行為によって発せられる音や触感をたしかめるようにして絵が生まれているそうです。

という説明で、何かわかった気がした。そうか。身体感覚か。前のブログで、

人間は誰しもが、三大欲求以外に何かすると心地よいと思うそれぞれのスイートスポットのようなものがあり、そこを探し突き続けることこそが、生きることなんじゃないのか、とまで思ってしまった。

と書いたけれど、このスイートスポットへの鍵が身体感覚なのだと腑に落ちた。そう思ったら展示されている他の作品の印象もバタバタと変わり始めた。

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この作品は、大好きな写真を箱に入れていて、それを振ったりするのが好きなんだという。あと写真自体にも触れることが好きなんだという。それによって写真の周囲が丸くなり、剥げたりしている。これも最初はなんじゃこりゃ?と思った。デジタルの加工で表現できるとか思っていたんだが、そうではないのだ。体を動かすことによって、スポットに触れる。もはやそれだけで十分だし、出来上がったものがいい感じならばなおよし。これこそがオリジナルたりうる。デジタルなど根元の気持ちを失った劣化コピーに過ぎない、死骸である、とまで思った。

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これも最初は意味がわからなかった。布にへばりついたクラゲ的ななにかの死骸に見えたんだが、実は糸である。刺繍である。縫うという行為も独特な感覚があるのはわかるが、作品として、最終的にどこにたどり着くかなんか知らんという感じがすげえなこりゃと思った。こういうのを爆発っていうんじゃないのかしら。しらんけど。

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これは E テレで紹介されていた人のだけれど、これもハサミで切るあの感覚が中心になってんのかと思った。これは触ってみたいよな。ふわふわしていそうだ。

僕は芸術にはあまり興味はないし、絵をかいたりしようとは思わないけれど、この人たちのありようが実生活のヒントになると思っていて、日常生活は効率追求に偏りがちなんだけれど、どうも身体感覚をベースとしていろいろ組み直すとよさそうだぞ?というのが今回得た大きなことでした。